FFXI-11鯖で(中略)実はあんまり詩人の話が出てこないうぇぶろぐ。
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ゲオ行ったら映画4枚で1,000えんキャンペーンとかやってて困る。
新作でも2泊3日(340えん)を4枚で1,000えんってよゆーで元取れるじゃんしかし見るヒマねーよw
って家帰ってきて冷静に考えてみたら、なにも2泊3日を4枚も借りなくても新作7泊8日(340えん)も混ぜれば見れないことはなかったじゃんしまったな!とおもった。暑さのせいだ;
新作でも2泊3日(340えん)を4枚で1,000えんってよゆーで元取れるじゃんしかし見るヒマねーよw
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この「脳内ニューヨーク」はマルコヴィッチの穴やエターナルサンシャインの脚本を手がけたチャーリーカウフマンの初監督作品。
監督・製作・脚本が同一人物だとだいたい低予算のチャレンジングな内容なのが多いけど、主演にフィリップシーモアホフマン据えたら見るしかないw
しかもそのへんの無名監督と違ってマルコヴィッチの穴とかぶっとんだ発想の脚本書いてるんだから期待できる。
舞台は現代のNY。
画家の嫁さんと幼い娘を持つフィリップシーモアは劇作家ケイデン・コタードという設定。
ケイデンの仕事は一定以上の評価を受けつつ家庭も円満だったのに、自身が体調を崩し始めたあたりから嫁さんは更年期か?と思わせるような変貌を遂げてついには子供を連れて海外wへ移住。
残された彼は肉食系の女に陥落寸前。
しかしそこに莫大な賞金の出る賞を受賞したという報せが入って劇作にのめり込むこととなり・・・。
フィリップシーモアの素晴らしい点は「普通」の人を没個性にさせずに演じられるその技量。
虚像的な強さは決してなく、アメリカ人特有の(過度ではないが)自己中さを備え、ともすると誘惑にも負けがちだけど一瞬の気の迷いだった何やってんだオレっていう苦悩や逡巡といった感情の発露を嫌悪感なく自然に出せるところが相変わらずすごい。腹も出てるしいかにも普通のアメリカ人って感じ。
安定して始まる序盤が急展開する中盤あたりからフルスロットルでエキセントリックにぶっとばしながら最後には出演者全員が役者の役者の役者の・・・っていう合わせ鏡のような複雑な世界を構築して披露していくまさに脚本家の脳内世界の発現がこの映画。
情報量はとても多く、寝起きからメシ食って頭スッキリさせてから見ないとたぶん飲まれるw
単純におもしろいかどうかっていったら複雑だからおもしろくないんだけど眠気が来るようなことはなく、劇作と現実が相互にオーバーラップしていく世界を眺めるのは斬新。まさに脳内世界の具現化。
マルコヴィッチのようにシュールな「笑い」だけを安易に取りに行くことはなく、今回は抑え目なのかと思わせといて・・・?
少なくともパッケのようなポップな展開ではないねw
終盤のエンディング直前は、もはや思考のこんがらがった先を投影するだけの展開でおもしろくないのにおもしろくなくないし、やっとその意図に気付いたころにはこのしつこさについてこれる人が少なくて売れなかったんだろうなと思ったw
破綻はしないんだけどとにかく斜め上にぶっとび続けるおもしろさがある。
展開に合わせてどんどんメイクが変わってくところとかわかりやすくしてるんだけどこれは受けないだろうw
少なくともみんなが腹かかえて笑うような「コメディ」ではないね。
でも万人がついてこれないことは織り込んでたっぽいし、その「方向性」を理解し演じ切ったフィリップシーモアはバケモンwやっぱ好きだわ。
あの劇作家はカウフマン自身の一面なんだろうね。
これは普段脳内で思考がぐるぐるぐるぐる巡っていくタイプには楽しめるはず。
クレア役のミシェル・ウィリアムズもかわいい^^
人間誰もが皆自分の人生の主役なんだよ。だけどそれを他人に演出させると・・?またね。
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